信仰
帰国以来はじめてに教会に行って、けんさんと話した。
そもそもホモサピエンスの前頭葉とかいうハードウェアに限定された知性が、信仰やら確信やら盲信やら(単語はこの際なんでも良い)を持つことは論理的に正しい選択なんだろうかとすら思ったりする。というのも
- そもそも何かを強く信じるに足りるほど賢いのか
- 強く信じるという行為はある程度盲目になるという側面を含むように思うが、疑いやら批判的思考を捨ててしまうと元々高が知れている知性はより限定されてしまうことにならないか みたいな。
まあ、それでもなお何かを信じたくなったりするのが人間かもしれないし、信じることが論理的に正しい選択か結局分からないのが人間かもしれない。